最初に2つ、お断りしておきたいことがあります。
ひとつは、この記事は誰かの家庭スタイルを批判するためのものではないということ。家庭ごとにベストな形は違って、それは尊重されるべきだと思っています。
もうひとつは、これから書く内容は「自分がこうありたい、こうしたい」という考えがベースです。決して「誰かのために」という考えは根底にはありません。子どもを自分で育てられる親でありたいし、夫婦として平等な関係でありたい。だから私は動いています。このスタンスを念頭に読んでもらえると有難いです。
共働きで育児を始めて1年が経ち、私の中で2つの確信のようなものが生まれました。
- 真の意味での「平等」は、たぶん成しえない
- 「分担」というやり方も、それだけではうまくいかない
挑戦的に聞こえるかもしれませんが、我が家で実際に感じてきたことを、できるだけそのまま書きます。これから育児を始めるパパや、いま夫婦のバランスに違和感を持っている方の、何かのヒントになれば嬉しいです。
私が実感したこと①「真の意味での平等」は成しえない
妊娠・出産は妻にしかできない
当たり前の事実が故に、頭でなかなか追いつかない事実です。
妊娠中の妻は、ホルモンバランスが大きく変化します。髪が抜けやすくなったり、肌が荒れたり、精神的に不安定になったりする。これは妊娠していない私からは、どれだけ想像してもリアルには見えません。
「今日どうだった?」と聞いたところで、毎日違う波のように体調は変わります。私は外で仕事をして、ある程度想定通りの一日を過ごせる。妻は自分の体の中で起きている変化と、ずっと向き合っている。この時点で、スタートラインがそもそも違います。
妻は些細な負担を話さないことが多い
ここが難しいところです。
「言ってくれれば手伝うのに」と、私自身も最初の頃は思っていました。でも、妻側からすると「言ってもわからないだろう」と思っていたり、「余計な心配をかけたくない」という考えから、小さな負担を飲み込んでしまうことが多いようです。その小さい負担が積み重なって、体や心の余裕が無くなっていき、喧嘩になってしまいます。
言葉だけを頼りにしていたら、ほとんどの負担は見えないままです。
「助かった」の一言から、後付けで気づく
だからこそ私は以下のことをやっています。
- ”常に”「今、家事・育児を含めて、家の中でできることは無いか」を考える
- 妻が「助かった」と言ったときに、「あ、ここが負担だったんだな」と頭にメモする
「それは、休まる暇が無くなる」「結果として、自分の余裕のなさにつながる」と思う人もいるかもしれません。正直、最初はかなり負担でした。でも人間は慣れる生き物で、慣れてくると休まるタイミングや自分のキャパシティに目を向けて、「これ以上は無理」と考える余裕が生まれてきます。
これは妻を気遣うためというより、自分が「夫婦として平等でありたい」という基準で動いているから、結果としてこうなっているだけです。
妻が抱えている体の負担は、私が想像できる範囲をすでに超えていると思っています。だからこそ、言葉だけじゃなく、行動の積み重ねで五分五分に少しでも近づけたい。これは妻のためというよりも、私が選んだ夫婦のあり方を実現するための、自分への基準だと思っています。
出産後も、負担はまったく軽くならない
産後の母体への負担は、本当にとてつもなく大きいです。
母乳をあげる負担ひとつとっても、最初は思うように出ない。乳首に血豆ができてしまうこともある。あげたいのに出ない、という心の負担も重なる。
それに加えて、産後はホルモンバランスがまた大きく揺れて、気分の浮き沈みも出てくる。妻はそれを抱えながら、何時間おきの授乳をこなしていました。
「出産が終われば一段落」では、まったくない。むしろ、ここからが本番でした。
私が実感したこと②「分担」だけではうまくいかない
「余裕がある方がやる」が、我が家の結論
「家事は妻、育児は夫」みたいな細かい分担は、我が家ではうまくいきませんでした。
理由はシンプルで、その日その日のキャパシティがまったく違うからです。余裕は個人差だけでなく、その日の疲れ具合、体調、仕事のしんどさで毎日変わります。「今日は俺の担当だから」と固定すると、余裕のない方が無理をして、結局どこかで不満が爆発する。
だから我が家では、余裕がある方が、目の前のことをやるという形に落ち着きました。
そのためには、両方ともすべてできる必要がある
このスタイルが機能する前提は、ひとつしかありません。家事も育児も、夫婦どちらもひと通りできることです。
- 離乳食を作れる
- お風呂に入れられる
- 寝かしつけができる
- 料理・洗濯・掃除・買い物ができる
- 病院に連れていける
- 子ども、チョコの状態をいつも共有する
「自分はやり方を知らないから」と片方が抜けると、その瞬間にもう片方に全部寄ります。私が育休中にできるだけ全部一通りやったのも、妻を助けるためではなく、自分が子どもを自分で育てられる親でありたいという理由が大きいです。子どもの世話を自分でできない親にはなりたくない、というシンプルな動機です。
朝のルーティンも、妻と「余裕がある方がやる」スタイルで回しています。具体的な動きはこちらの記事で詳しくまとめています。
片働きの「仕事は夫・家事は妻」も、私は分担として成立しないと感じる
ここは少し挑戦的な内容になります。改めて言っておきますが、これは片働き家庭の上記分担そのものを否定する話ではありません。あくまで「分担」という言葉の使い方について、私が感じている違和感です。
平日は機能している(ように見える)
「夫は外で稼ぐ、妻は家で家事育児をする」というスタイルは、平日だけ見ると役割がきれいに分かれていて、たしかに分担として成立しているように見えます。
夫は8〜10時間仕事をして、妻は同じ時間帯に家のことを回す。お互いに自分の領域を持っていて、機能しているように見える(実際は、帰宅後の負担は?という話です)。
でも、土日祝日はどうなるか
ここが私の引っかかりポイントです。
夫は土日祝日、仕事が休みです。一方、家事育児には休みも区切りもありません。子どもは土日も24時間ご飯を食べるし、お風呂に入るし、夜中に起きる。
このとき、夫が家事育児を妻と同じくらいできない・やらないと、どうなるか。土日も妻が一人で全部担うことになります。
平日:夫=仕事/妻=家事育児
土日:夫=休み/妻=家事育児(変わらず)
これを年間で積み上げると、妻の家事育児時間は夫の仕事時間を大きく超えていきます。私の感覚では、これでは「分担」と呼べる状態ではありません。
「分担」の前提は、両方できること
仮に片働きを選ぶ家庭でも、私はやっぱり、夫が家事育児を妻と同じくらいできることが「分担」の前提だと感じます。
これができていないと、平日の役割固定がそのまま土日にスライドして、妻の負担が増える。それは「平等な」分担ではないと思います。
育児を「わかる」ためにやってよかったこと
育休は2か月でも、まだ足りない
私は2か月の育休を取りました。今のところ、これがやってよかった最大の判断のひとつだと思っています。
ただ、はっきり言うと、2か月でも全然足りませんでした。
新生児期の睡眠サイクル、授乳のタイミング、ミルクの作り方、沐浴、おむつ替え、夜泣き対応。一通りやって、ようやく「育児がどれだけのものか」が見え始めた頃に、復職の日が来てしまう。
それでも、ゼロと2か月では、見えている世界がまるで違います。次の育休は、なるべく多くとりたいですが……
大切なのは「わかりたい」と思う気持ち
育休を取っても、本気で関わらなければ、何もわかりません。
「育児を手伝う」じゃなく「育児をする」。これは私の中で大きな違いです。「手伝う」は、誰かの仕事を補助するという発想で、育児を妻のものとして見ている前提が透けます。そうではなく、育児は私自身の仕事でもある。妻と一緒の責任で、一緒の負荷で動く。当事者として向き合わないと、育休期間がただ過ぎていくだけになってしまいます。
「育児から自分が降りる」のは選択肢にない
これは私のスタンスとして、はっきり書いておきたいことです。
「自分は仕事で疲れているから」「妻のほうが上手だから」「いま手が離せないから」を理由に、育児の判断や対応から自分が降りるのは、私の中では選択肢にありません。育児は妻の領域に手を出すものではなく、私自身の領域でもあるからです。
これも繰り返しますが、他の家庭を批判する意図はありません。私自身の親としてのあり方として、そう決めているという話です。
それでも、妻の負担は私が考えるより大きい
ここまで色々書いてきましたが、結局のところ、どれだけ私が動いても、五分五分にはたぶん届きません。
体に起きていることが違うし、ホルモンの揺れも違うし、母乳の負担もある。妻の中で起きていることの全てを、私は最後まで完全には理解できないと思います。
だからこそ、考え続けること、聞き続けること、見続けることを、自分のルールとして続けています。これは妻のための気遣いというより、自分が選んだ夫婦のあり方を、自分の手で実現し続けるためのプロセスだと思っています。
「これだけやってるから大丈夫」と思った瞬間に、見えていない負担を見落とす。
第2子の出産が2026年9月末に控えています。妻の体への負担は、また増えます。今の私にできることは、この姿勢をさらに強くしていくことだけだと思っています。
まとめ:完璧はないからこそ、当事者として動き続ける
長くなりましたが、私が育児を通して考えるようになった夫婦の関係は、こんな形です。
- 完璧な平等はない。だから、見えない負担を想像し続ける
- 完璧な分担もない。だから、家事も育児も両方できるようにする
- 片働きでも、夫が家事育児を一通りできることは、分担の前提
- 2か月の育休でも足りなかった。それでも取った価値は大きい
- 妻の負担は、夫が考えるより大きい。だから考え続ける
最後にもう一度だけ書いておくと、私が動いているのは、妻のためではなく、夫婦の平等のため、そして自分が子どもを自分で育てられる親でありたいからです。妻を「助ける」という発想はナンセンスです。
我が家のスタイルが正解だとも、誰かのスタイルが間違いだとも思いません。ただ、共働きで育児を始めて1年、私はこんなことを感じてきました。
同じように悩んでいるパパや、夫婦のバランスに違和感を持っているママの、何かのきっかけになれば、それで十分嬉しいです。
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